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Sep 25 2011
いらない知識やためにならない知識を切り捨てて、後によい知識が残るのではない。そうではなくて、オカルトであろうが占いであろうが最新科学理論であろうが、何でもお構いなしに知ることによって、人は自らの判断力をうまく働かせることが可能になるのである。
 これは云うなれば「清濁併せのむ」姿勢である。
 これはまた、読書に濫読が必要な理由でもある。青春時代に濫読を経験していれば、世の中にいろいろな意見があることは分かっている。早い話が、比較検討が可能になるのである。そして、人は、次第に「いいもの」を読むようになる。その基準は、自ら設定するものであり、他人から押し付けられるものであってはいけない。
 頭の固い人、思考の柔軟性に欠ける人は、この比較検討ができるほど十分に多様な見解を知らない。比べられないから、すぐに自分の極限された世界観のみが正しいと判断して、「正しくない」世界観を根絶やしにしようとするのである。つまり、先入見の塊と化すわけである。
— (竹内薫+竹内さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』) (via breathnoir) (via plasticdreams) (via yaruo) (via katarinax)
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